Blue,Coffee &

素敵なカフェと、コーヒーのある暮らし。

「移動」/ コミュニケーションの手段として~2018年 夏~

東京を離れてからというもの、主に高速バスでの長時間移動というのが、僕の生活の欠かせない一部になっている。

 

今年2018年は、例によって、いや、例年以上に、移動・移動・移動の夏だった。

 

名古屋に来て初めて迎える夏。数少ない友人、そして何より大切な人がいる東京、故郷である静岡。そして現在住んでいる「第三国」的な名古屋...。

 

流されるままこんなところにまで来てしまったけど、この会社に入り勤めている自分の選択の結果なのだから、仕方のないことである。ただし、「やっぱり違う」と思えばその地点でやり直せばいい。いや、そう思うのであれば、できるだけ早めに動くべきだ。

 

まあとりあえず、そんなことは一旦置いておいて、この夏は、3連休を使い、1日目はバスで名古屋から東京、次の日はバスで東京から静岡、最後の日は電車に揺られ静岡から名古屋に、毎日長時間移動した。

 

「移動」の時間は、自分にとっては一種の安らぎであり、一種の至福の時間であるし、青春を思ったりする。

バスに乗っている時間は、電車に揺られている時間は、「じっとしている」行為だ。

もちろん、本を読んだり、スマホをいじったりする。ただ、家の中で寛いでいる時間や、カフェでゆったりしている時間とは違ったものがある。

 

「どこか」から「どこか」へ移動している。景色が変わる。限られた時間の中にいる。

過ぎていく景色を見ながら黄昏るのは心地がいい。

 

さて、そんな移動の中で、東京から名古屋の間で立ち寄った静岡では、

母にコーヒーを振る舞ったり、兄弟にドリップバッグをプレゼントしたり、祖母とはドリップバッグとお土産の焼き菓子でおしゃべりをしたりした。

実家でコーヒーを振る舞うのは決まり事のようなものになってきている。家族とはそんなに関われないできたけれど、コーヒーを淹れて飲んでもらうことはできる。自分なりのコミュニケーションの取り方になっている。

コーヒーは僕が誰かに提供できるものであると思うし、だからこそこれを自分の長所としてもっと得意にしていきたいなあとも思う。

 

コーヒーを飲みながら会話を楽しむ、北欧の人たちの暮らしも調べてみたい。

 

p.s.

小学校・中学校時代の友人が、勤め先のラーメン屋さんで店長になっていた。

やる気に満ち溢れた彼の言動には感心した。とにかく、おめでとう。