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『あの頃、君を追いかけた』を観ながら思ったこと

昨日、映画館で『あの頃、君を追いかけた』を観てきました。

 

映画やドラマって、評価の視点は様々あると思うけど、一般人が、自分が、その作品を評価する際って、何らかの形で「自分の人生を投影」できるとすごくいいなって思いますよね。

 

今回、この映画を観て、そんな場面がいくつかあり、考えさせられる所があったので、少し文章にしてみたいと思います。

  

◾︎康介や真奈が勉強に打ち込む姿

その姿を見て、自分もそうだったなぁと思い、じわじわ来てました。

あの頃の自分も、あんな風に一人机に向かい、集中してひとつのことに取り組んでいたなぁと。

そういったことを、何か特定のことに集中して取り組む、ということを、今一度、しなければいけない、と強く思いました。したいなあ、ではなく、しなければいけないんだと思う。

何かに打ち込む。

まだ青春したっていいじゃないか。今からだって遅くはない。

学びたいと思ってることは、あるべき理想像というのは、あるじゃないか。それなら、学ぼうよ。

あの頃は明確な杓子定規があった。点数が出たし、合否が出た。でも今はない。何をどこまでやるかは、決められていないし、何もやらなくてもいい。だから、何もかも自分で決めなきゃいけない。逆に言えば、自分で何もかも決められる。人生どうするか、どんな仕事をするか、どんな人と付き合っていくのか、どんな人と人生を共にするのか、何でも自分で決められる。そう考えると、この世界は素晴らしいのかもしれない。

 

◾︎康介が武術に打ち込む姿

この映画を観ていて、「中二病になろう、ならなければ!」と思った。

康介は絵に描いたような中二病の男の子だった。中国武術に本気で取り組んだり、周りからみると変にしか見えないことを、でも「これ」と決めてしっかりとした意志を持って取り組んでいた。今の自分のあるべき姿なんじゃないかと思いました。

 

◾︎康介が過去の喪失から乗り越える姿

この作品はハッピーエンドではない。喪失や後悔という過去を背負いながら、それでも前を向いて生きていく、というような構成だった。これが今の自分を少し励ましたことは事実だと思う。康介は小説を書くことで、過去の清算をした。過去という変えられない事実をどういう形で捉えて生きていくかは人生においてとても重要なことだと思う。

 

この映画を観て、今後の自分の人生のスタンスを考え直させられ、いい機会となりました。何がきっかけになるかわからないですね。